首筋に感じる固い鉄の感触。 腸(はらわた)が煮え繰り返そうな感情。 今スグこいつを殺したい。 だけど、俺は死ぬわけにはいかない… [絶対生還] 「舐めろ」 俺の目の前にあるのは、このグレイとかいう野郎の革靴の先。 コレを?冗談じゃねえ。そんな事できるか! しかし、脊髄に感じる嫌な感触。骨を通じてゴリ…と音がする。 少しでも逆らえば…ってヤツ。コレの威力はさっきわかった。 右肩と太腿に感じる熱のような痛みが、休むことなくそれを伝えてる。 おかげで、その痛みと出血で意識が朦朧としだした。 薄い息が短い合間に何度も口から零れる。汗がゆっくりと頬を伝いながら流れていく。 正直こんな侮辱行為をするくらいなら、死んだほうがマシだ。 だけど、頭の中で一人の顔が浮かんでくると、死ぬという選択肢は皆無になる。 『スゥにいちゃん』 …死ねるわけねえよ。 「早く舐めろ。それとも、死ぬほうが…というヤツか?」 『スゥにいちゃん』 …またそう呼んでもらうんだよ。 俯いたまま何もしねえ俺に苛ついてきたのか、靴の先で俺の顎を押し上げる。 クソ…やっぱりブッ殺してぇ…。 後ろでカチリと、変な音がした。あの黒筒を使うための前準備だと、察した。 これ以上グズっていると殺すらしい―意外に短気だな。 舌打ちが上から聞えた。このままだと、殺される。 俺は… 「仕方ない。おい、殺…」 「グレイ様!大変ですっ。ドラキュラ様が、悠離卿にっっ…!」 「ドラキュラ様がどうしたのだ!?」 鉄格子の扉の開閉音が聞えたかと思うと、ここにいる奴らとはまた違う声が聞えた。 焦っているのは声だけでも、すぐに判った。 そしてその言葉に―俺以外の―全員がざわついた。 ドラキュラサマね、どんなヤツかは知らねえが、さぞかしコイツらに好かれてんだな。 呆気ないくらいに、俺の周りに隙が生じた。 当然こんなチャンスを逃すわけがない。 俺は拘束された腕を素早く解放すると、すぐにこの黒筒を持っている 男の手を掴み捻り上げた。 顔と同じ、ヒキガエルのような呻き声をあげながら黒筒を手から零した。 黒筒は独特の音を響かせながら、石床に落ちた。 その音にグレイ達はハッとし、俺やその黒筒を掴もうとした。 だけど、もう遅ぇよ。 すぐさま黒筒を拾い上げる。手にした時のズッシリとした重量感に正直驚いた。 しかし今はそんな事を気にしてはいけない。 グレイ達の手を逃れながら壁際まで走りこんだ。 鮮やかに囲いから逃げ出した俺の行動に、ポカンとしたアホ面を見せている。 手負いとはいえ、素早さに関しては自信がある。 ここで嘲る様にフッと嫌な笑いの一つでもしたいが、今は歪んだ顔しか出来なかった。 無茶をしたのも事実で、傷口がかなりヤバイことになっている。 特に太腿。かなり血が流れているし、痛みも酷い。 荒々しい自分の息遣いが聞える。うっかりすると意識を持っていかれる。 走るのは流石にもう…。 壁際に逃げたのを少し後悔するが、ここに行ったのは俺だ。悔やんでも仕方ない。 黒筒を奪われたヒキガエルが、怒りに顔を引き攣らせながら走ってくる。 頼むから、そういう醜い顔見せるのやめてくれねぇか? 俺が黒筒で思い切り男を殴り飛ばした。手にした時の重量感どおりかなり鈍い音を たてながらヒキガエルは床に突っ伏した。 起き上がられちゃ困るんで、頭を思い切り踏みつける。 嫌な音―手応えアリ、こいつは脱落だ。残るはあと三人。 「貴様ぁ…調子に乗るなよ」 「うるせぇな。ブッ殺してやるから覚悟しろ…」 グレイが怒りに震えながら俺を睨みつける。 調子に乗るなは、こっちの台詞だ。あんな事しやがって、絶対に殺してやる。 黒筒をなんとか構える。なんとなく使い方は判った問題は当たるか…だ。 頭を狙ったつもりで引き金を引いたが、使い方もロクに知らない未熟さと痛みで 思い切り外れて石壁に当たった。 それにグレイはククッ…と嘲け笑った。勝手に笑っていろ。 グレイにしてみりゃ外した俺は滑稽に映ったかもしれないが、 俺はこの黒筒、かなり気に入った。今まで扱ってきた武器の中でも 自分に一番合っている。もう一度引き金を引くと今度は頬をかすめた。 血がじわっと滲み頬を伝っていく グレイの表情が一気に強張った。馬鹿にしていた矢先にこれじゃあな。 これで、視界がフラついていなかったら、仕留めていたのに… 「チッ…貴様、中々やるようだな」 「修羅場かなりくぐってきたからな…どうよ?」 「もう少し相手をしていたいんだがな、俺は忙しくなった。貴様は俺の部下達と せいぜい仲良く遊んでやってくれ。あぁ、それとこの部屋は 特殊な空間になっている。貴様如きでは出る事は到底出来ないだろう。 それでは、失礼。」 「なっ、テメェ!逃げっ…」 ―逃げるのか! そう罵倒しようとしたら、グレイはフッと姿を消した。 特殊な空間。 ハッとして周りを見回すと、そこには出入り口だった筈の鉄格子の扉は無かった。 グレイの言った事は只のハッタリではないらしい。 この牢と外界の空間を捻じ曲げたようだ。 外界と隔離された密室の空間、気味悪い…。 グレイがここからいなくなった事で、残りはあと二人だが…出られるかな?俺。 否、なんとしても出なければ…あいつの為に。 「どうする貴様、今からでも遅くないグレイ様の奴隷にならないか? 命だけならまだ保障してやるぞ?」 「命だけってのは御遠慮願うなっ」 当然の申し出の断りに、当然に二匹の化け物は掛かってきた。 殺意を込めた爪と牙が襲い掛かろうとしている。 神経を集中し、まず自分により近い敵に向かって引き金を引いた。 その狙い通り、一人は眉間を撃たれ呻き声をあげながら崩れていった。 これで残るは一人!そしてすかざすもう一人に狙いを定め、引き金をひいた 虚しく何かが空回った音だけがそこに響いた。 「なっ!?」 「馬鹿め、弾の残数も知らずに無闇やたらに振り回すからだ!」 慌てて身体を捻り、攻撃をかわそうとする。 動いた足元が血の水溜りに僅かな波をつくる。 しかし、所詮の手負いの身体にこれ以上の機敏な動きは期待できず 傷の負った肩に鋭い爪が抉りこまれただけだった。 声になっていない叫び声をあげながら、床に崩れていく。 黒筒が硬質な音をさせ、円を描きながら床を転がっていく。 ―限りがあったのかよ、迂闊だった… 血がドクドクと音を立てながら床に流れていく気がする。 床に染み込んでいく血を眺める暇も与えず、そいつは抉られた肩を更に踏みつけた。 痛みに顔が歪む、何度も何度も傷口を踏みつけられ痛みとショックで 意識が何度も飛びかける、このままだと確実に殺される。 何か武器になるものはないかと、虚ろな視線を徘徊させる。 その行動に気付いたようで、嘲け笑うかのように脚を思い切り踏みつけられた。 凄まじい痛みに脳内が支配された、間違いなく折れた。 「無駄な事をするな、貴様は死ぬまでたっぷりと痛みつけてやる。 その脚ではもう逃げられんだろう、次は耳を引き千切ってやろうか? それとも内臓を引きずり出してやろうか?」 その言葉とともに、腹部に異物感と痛みが走った。 腕を抉り込まれた。悲鳴と一緒に血が口から溢れ出した。 「ぎあ、がっ…あ゛あ゛…っっ」 痛いとかもうそういう問題じゃない、眼球が飛び出すほど目を見開き、 裂けるほどに口を開いている。腹には腕が埋め込まれたまま、 これが引き抜かれれば血が大量に噴出し、俺は… いや、それは時間の問題だ。俺は知っている激痛と苦しみの果てにある 死の呆気なさを、もう来ている、もうそこまで、俺の二度目の命を取りに… 目の前の化け物野郎は気狂った様な笑みを浮かべている、楽しいのだ この手に命を手にしているのが、自分が少し手を引き抜いただけで死ぬという脆さ 明らかに自分が上に立っている優越感、何もかもが楽しくて仕方ない様子だ。 だけど、俺はこのままじゃ死ぬ事は出来ない。死んで堪るものか、 俺にはやり残している事が山のようにある。 …俺は生きるんだよ!! 『スゥにいちゃん』 またあいつに、俺に生き甲斐をくれたあいつに、俺の、俺のたった一人の たった一人の…に、また逢う為に、俺は…。 身体から、細胞の一つ一つから何かが零れ落ちていく気がした それはとても懐かしく、とても憎らしく、とても毒々しい… 「ぎゃああああああぁぁっっっ―…!!!」 耳を突く叫び声をあげながら、目の前の奴はもがき苦しんでいる、顔面蒼白し 目を見張らせ、口から泡を吹いている。 空いた手で喉を掻き毟ったり押さえている、奴は埋め込んだ手を必死に抜こうとした がそれは抜けなかった、俺が血塗れの手捕まえていたから、 これは最後の足掻き、最後の抵抗…男は俺に手を埋め込んだまま絶命した。 汚く重い身体が俺の身体に覆い被さったが、仕方が無い… 自嘲気味にフッと、笑みが零れた。 最期の最後までこの毒は俺の中にあったようだ…てっきりもう消えたと思ったのに… 意外にこいつは俺のペットだったのかもしれない、とても従順で獰猛な… 最期に御主人様の為に現われたとか?―ははっ、フザケテル。 俺はゆっくりと腹部に埋め込まれた汚らしい手を引き抜いた。 人形のような俺の血に塗れた手は床にごとりと落ちた。 腹から血が溢れ外に流れていく、口からもまた零れていった…。 痛いはずなのにな、痛みもあまり感じられず、目の前がどんどん白けてき、 ただふわふわとした感覚が俺を包んでいく、しかし、とても寒い… 生きなければいけない筈なのに、思考が何かを悟ってる。 どうせ死ぬなら、幻でもいいからあいつに逢わせてくれよ… 俺はあいつに逢いたいんだ、あいつに一目…一目だけ… 一目見れば死ねるかどうかも判らず、それでも 無い幻を見ようと、少しずつ閉じていく片の目をなんとか開いてく。 しかし、見えたのはとても不思議なものだった。 目の前に何も無いハズなのに、何か違和感がある。 そうまるで擬似体がその風景に身を隠しているのを、なんとなく見つけたような そんな違和感が…、その違和感にゆっくりと手を伸ばしていく。 なんとなく掴めた感じがした。そしてこれは剥がせると思った…そう、なんとなく、 直感的に。 死に掛けの力無い手でも違和感は簡単に裂くことが出来た。 裂いた中から見えたのは歪んだ風景、これはひょっとして異次元空間…? 確かあいつといた世界からメルヘン王国に渡るとき、こんな奇妙なものを 通っていった。ひょっとすると、外に出られる?! 脱力した身体を精一杯に動かす、これこそ最期の足掻きだ… 今更になってこの覆い被さった男の死体が邪魔になる、しかしそれをどかす力も無く 俺は男の死体から、いも虫のように這い出た。 止まっていた血がまた流れていく、ハハッ、痛ぇな…。 そしてそのいも虫状態で、俺はその歪んだ風景の中に身を落とした。 これを通ったからといってどうなるかなんて判らない、取り敢えず判るのは 俺はどうも害虫並にしぶといと言う事だ。 独特の重力を感じたあと、フッとその重力から解放されいつの間にか俺は 地面に倒れこんでいた。―正直、出た瞬間に落ちなくて良かったとホッとしている …流石にこの傷じゃ衝撃に耐えられないからな。 土の匂いがした、風が髪を揺らし頬をくすぐっていく、耳には風の音と鳥の声。 安堵感が身体中を駆け巡った、外の世界がこんなにいいものだったなんて…。 しかしこれからどうするかと、思うと気が滅入ってしまう。 今度こそ動けない、寧ろよく生きているものだと自分で感心してしまう。 「ん?」 足音が近づいてくる、運悪くグレイの追ってだとすれば不味い。 それとも運良く、通りすがりの善人とか…?後者であって欲しい。 段々と、段々と近づいてくる虚ろになる視線をしっかりとしながら、 足音のするほうを見つめる、人影が見えそいつも俺に気付いたらしく 慌てて駆け寄ってきた、追ってではないようだ… 俺は運が良かったと思いながら、意識を手放した。 …次に目が覚めた時も“スゥ”でいられるようにと願いながら… |
―to be continue― |
何故かこの話アップしようとすると強制終了がすごくかかりました…; アップできてよかったです。 スゥちゃんが空間移動をできるようになったキッカケです。 彼等に関わりスマは透明に、スゥちゃんは空間を会得しました。 背景画像は「暗闇の坩堝」様より +BACK+NEXT+ +CLOSE+ |