何故だかは、わからない。 判るわけが無い。 しかし、目が離せなかったのは紛れも無い事実。 ここにいるものとは、また違う 異質な輝きを帯びた、あの紅い眼を・・・・ [血という名の…] 会場中央の舞台で見世物にされている少年。 身体の至る所には、情事と暴力の痕が生々しく残っている。 顔は腫れ、口の端からは血が流れている。 内臓と骨を、間違いなく数箇所やられている。 左足なんて、あからさまに違う方向を向いている。 身体の一部分でも欠落していないのが、奇跡のように思えてしまう。 行為はまだ、続けられている。 しかし、少年はしっかりとじっと、私の方を見ていた。 いや、しっかりしてはいるのだろうか? 眼の色は、虚ろで輝きを失っている。意識を手放すか、心が壊れる一歩前だろう。 それでも、私にはなんとなく判った。あの者が見ているのは、私だと。 そして、私も少年から目が離せないでいる。 蒼い髪、青い肌、血の色とは違うルビー色の瞳。 それから私は目が離せないでいる、その光を宿していない瞳。 それが私を惹きつけるか?いや―違う。 では、何故?何故私はあの少年から、目が離せないでいる。 ふらりと、足が自然に動いた。そして、それは舞台(・・)に向かっていたのだった。 「悠離様!」 「!?」 名を突然呼ばれ、後ろをバッと振り向いた。 別の婦人が厚化粧な顔を、笑みに歪ませながらいそいそと駆け寄ってきた。 ウンザリとしか感じられないような溜息を、心の内でしてやった。 貴様らはもう少し、付きまとわれる身をの事を考えた方がいいな。 全く。虫のように周りをチョロチョロと、踏み潰せない大きさなのが実に厄介だな。 「悠離様、御機嫌麗しゅうございます。」 「…御機嫌よう。ミス.レイリス」 壁際で会った婦人と同じ挨拶を交わす。 女性なので、一応甘い顔で応対してやる。 実際はこの香水臭さに鼻をつまみたい一心だったりする。 婦人は趣味の悪い扇子をヒラヒラとさせながら、私にグラスを一つ勧める。 しかも、だいぶアルコール度が高いものを。 私は笑顔で―嫌々に決まっているだろう―そのグラスを受け取る。 それと同時に婦人は、私になだれ込む様に胸元に寄り添い 艶かしい潤んだ瞳で、私の顔を見上げている。 酒をぶっかけ、突き放したくなる衝動にかられる。 そして、その衝動を更に煽るように、またもや内なる声が脳裏に響いてゆく。 『さっさと飲んで意識でも手放しなさい!』 『そして私と貴方の血を混ぜ、新しい混血を作ってあげる』 『純血と混血の血が混ざった新しい混血を』 『異端の者であっても、血は本物だからね』 自然と眉間に皺が寄る。 本人はこんな言葉が私に届いているとは夢にも思うまい。 結局は純血に頼っているのだよ、貴様ら下賎の者は。 私はグラスの酒を一気に飲み干した。 ・・・軽い酒だ。こんなモノで酔う奴の神経が知れぬな。 しかし、婦人はこれで私が酔いつぶれるものだと信じている。 ―ッフ、愚か者め。 私は婦人に外へ行こう。と静かに耳元で囁いた。 婦人は頬を紅色に染めながら、扉へと向かう私の後を追ってくる。 この愚かな女は全く気づいていない。 紅色に染まるのは、自分の頬だけではないことに。 横目で、もう一度少年の方を見る。 何故私はあの時、舞台へ向かおうとしたのだ? そして、何をしようとしたのだ―? …何故、脳裏から姿が消えん。 後ろ髪を引っ張られるような気持ちで、私は外へ向かった。 : : 心が壊れそうだった時、僕の目に鮮明に映ったのは 深い蒼だった。周りの狂気を秘めた色とは違う、美しく孤独な蒼色。 僕は目が離せなかった。 僕の壊れようとしていた心を、一瞬にして留めたディープブルー。 あの色だけは僕を見ていても、僕を好奇な色で映そうとしなかった。 快楽と痛みの波は今でも襲ってくる。 その度に、声が漏れていく。身体中に衝撃が走る。 それでも、あの深い蒼からは目が離せない。 たった一つだけの、僕を好奇の色で映さない。 あの色、それだけで充分に心地よい。 しかし、その蒼色はくるりと方向を変え、奥の方へ消えていこうとしている。 ―え?行くの?! 徐々に視界から小さくなっていく、人型の影。 ―行かないで!僕の前から消えないで!! 手を伸ばしたくても、身体の自由はきかず 望んでいない声ばかりが表へと出で行く。 生理的な涙は溢れ、床にコロンと音を立てて転がっていく。 ―行かないで、行かないでぇっ!! あの蒼い色は、僕のことを好奇な色で見つめていなかった。 むしろ、その色はずっと寂しげでもの悲しくて・・・・ 一瞬でも僕はその色に心を許した、だから… ―行かないで!ここにいてっ!! もう一度心が叫ぼうとした時だった、僕の視線は不意に天窓へと向いた… ―あ…! 天窓を見つめていた僕の目に映ったのは、鳥とはまた違う羽ばたきを見せる 紅の、コウモリの羽・・・? ―もしかして、アナタハ・・・ 意識が完璧に朦朧としてきた、もう何度も体験したこの感覚 意識を手放す感覚。視界が闇へとまた沈んでいく その薄れゆく意識の中、僕の脳裏に浮かび上がった言葉は ―アナタハ本当ノ吸血鬼(ヴァンパイア)…?― 「ぎゃっ…!!?」 悲鳴を完全に言う前に、あの女の身体は灰と化し夜の風に流れていった。 混血を殺すなんて実にたやすいものだ。 オマケに死体も残らず、灰になる。 この点は実に便利だ。返り血も浴びずに済む。 夜風が悠離の銀色の髪を美しくなびかせる。 悠離は顔に張り付く髪を静かに払い、紫色に輝く月を見つめていた。 そして、軽く息を吐き。目元を隠す仮面をそっと外した。 その姿を見た者は、間違いなく彼の美貌に頬を染めるか、 あまりの美しさに言葉を失うだろう。 彼の美しさは女性的というよりも、男性特有の美しさを持ち 無骨な男にはない端正さ、女性とはまた違う色気を放っている。 そして、それは一つのカリスマとなり、人々を集めるだろう・・・・ しかしそれは、彼が異端の者と言われなかったの場合だ。 あるところが、血の一族と違うため彼は異端の者とされ 陰口を叩かれているのである。しかし、全てが全て彼の敵ではない。 幾ら異端の者とはいえ、彼の実力は誰よりも凄まじく素晴らしい。 それをちゃんと理解している者もいる。 但しそれは皆、純血種ばかり・・・しかも少数。 ―悠離がその存在を知っているのかさえも、定かではないほどの― 混血はそれを認めようとはしなかった、コソコソと弱者の陰口を叩き そのクセご機嫌をとって彼と血を交わし、より強力な混血を作ろうと狙っている。 結局は、陰口を叩くものに媚を売っている。 その姑息さが彼の神経を逆なでする一方なのだ。 悠離は仮面を懐にしまい、この薔薇ばかりが咲く庭園を歩いていた。 噴水に近寄り、水面を覗き込んだ。 美しい銀髪、すらりとした鼻梁、真一文字に引き締まった唇 切れ長の瞳、しかしその瞳にこそ問題があった。 彼の瞳の色は、月夜に輝く水面と同じ蒼色なのだ。 吸血鬼、人狼…この魔物と呼ばれる種族はアルビノでもないのに その瞳の色は、血のような紅なのである。 それが混血であっても。 しかし、悠離は違った。彼の瞳の色は深い蒼。 別に悠離はこの色が嫌いという訳ではなかった。 むしろ好んですらいた。 それに悠離は自分が周りと違うと言われ、差別を受けても仕方が無いと思っている。 悠離には一つだけ血の一族とは違う能力を持っていたのだった。 誰にも備わっていない、誰も知らない彼の能力。 それは人の心を覗く能力。 触れた者の内なる声が彼の脳に響くのだった。 最初は面白がっていた、他人の心が聞えるなんて滅多に無いことだと。 しかし、そんな思いは彗星の如く消え失せた。 聞けば聞くほどに嫌気の差す、アイツ等の心の底。 仮面の被りすぎな本心。 全ての者は幼い彼を異端児と忌み嫌い、 立派な青年になれば異端児の分際で。と妬み蔑む。 貴様たちは何かを妬まねば誰かを突き落とさねば気が済まんのか 捨ててもよいプライドほど腹の子のように大切にし 捨ててはならないプライドほど、失敗した手紙のようにあっさりとクズにする。 反吐がでる!己の無力を誰かの所為にし、恨み妬み忌み嫌う!! 私の力が優れているのは。異端児だから?あの純血の長の一族だから? いつまで何かの所為にする! どこまで己の無力さを認めん!! 貴様らは己の無力さを己の血の所為にし、他人の有力を他人の血の所為にする! 何故認めん!何故認めない!? ここまで登りつめたのは、そこまで堕ちたのは 血でも! 一族でも! なんでもない!!己自身の力だと!!! 何もしなかった自分から目を背け、行動をとった者を妬む。 そんな下らん逃避はいらん!! 悠離の何処にもぶつけられない思いは、大きな力の波となり まるで背の羽根を羽ばたかせたような突風が吹き、 噴水に大きな波紋と激しい水しぶきを発生させた。 花壇に植え込まれている紅い薔薇も激しく揺れ、花びらを撒き散らす。 紅い花吹雪と水しぶきに佇む彼の姿は、真の吸血鬼。 その紫の月の夜に輝く眼が蒼でも、彼は悠離は純血の吸血鬼だった。 荒ぶった息を徐々に静めた。 この眼の所為なのか、皆そうなのか。 こんな月の夜は少々気性が荒くなる、内に溜まっている不満が力の波となり 辺りを震えさせてしまう。これを見られでもすれば、また余計な陰口が増える。 幸い、あの下衆共は余興に気を取られている。 ―余興― 「……」 なぜか、先ほどの少年が脳裏に焼きついて離れない。 何故、何故だ?下賎(げせん)の者に犯され殺されていく者は幾度となく見てきた。 それなのに、何故あの少年だけがいつまでも私の脳裏に焼きつく。 過去に、ある少女は顔に熱湯をかけられたことがあるというのに。 ―その姿は今思い出しても吐き気を起こる。 それと比べればあの少年はまだマシな方だ。 ならば、何故―!? あの肌の色のせいか?透明人間という異質な存在のせいか? あの涙の宝石のせいか?それともあの無機質な瞳か? 何がここまで、私に絡みつく。何がここまで…なにが… 私は会場へ行くことも忘れ、紅に染まったこの翼を大きく羽ばたかせながら 紫の月輝く、夜の空へと旅立った。 窓からはあの少年の輪郭が薄っすらと見えた。 身体の一部がなくならずに、生きている姿を見て 少し安堵の息を洩らしたのは、気のせいだろうと信じながら 自分が治める、北方の城へと帰っていった。 : : : 「う…」 軽い呻きと同時に両の手が、宙を彷徨う。 誰かに抱きつくように、誰かを求めるように。 だけど、両手は虚しく宙を切るだけ… そして意識の浮上。 気を失っては目覚め、気を失っては目覚め それの繰り返し安心して眠りについた事なんて、ここに来てから全く無い。 虚ろな目で部屋を見渡す。 石壁ではなく、あの趣味の悪い部屋が次の居場所らしい。 手錠はいつも通り。柔らかいベッドの上で眠っているはずなのに 全然暖かくない… 「あ…れ?」 思わず声に出してしまった。 足が正常な方向を向いている。 ダルさが残っているが、身体も痛くない。 まさか、そんなに眠っていた? でもあの折れ方じゃ、だいぶ掛かるし… 「ようやく、目覚めたな」 またあの声、いい加減にして欲しい。 起きるとほぼ同時にやってくる。あの不快な声。 そして靴音。 同じすぎる。まるで一日一日がループしているみたいだ。 「お前はあの夜から二週間近くも眠っていた。 眠ったまま死ぬのではないかと思ったよ。」 ―僕もそうしたいよ― もう死んでしまいたい。 二週間…それが一生だったらどんなに素敵だったか… 「傷は我々吸血鬼一族に伝わる秘術で治療した。 お前にはまだまだ、あの余興の主役になってもらわないといけないのでな。」 「!!?」 「皆、お前を気に入ったそうだ。是非また主役になってくれと。口を揃えて言ったぞ。」 また? またあんな目に遭えと?またあんな痛みを味わえと? 幼さを帯びた顔が恐怖に歪んでいく。 男はそれを笑って見ている。 脂汗と冷や汗が両方身体中に流れていく。 呼吸が自然と荒くなる。身体が小刻みに震えている。 虐待に遭うのは覚悟していた。だけど、それには淡い期待があった。 いつか虐待が行き過ぎて、殺されるんじゃないかと。 心の奥底でそれを期待した。だけど、傷はすぐに治療される。 苦痛を何度も受けては治されて、また苦痛を受けてその繰り返し。 今度こそ本当のループが出来上がった。 「い…や、やだっ、やだぁっっ!!」 羽根枕を掴み、駄々っ子のように男の方に向けて投げる。 しかし、男はそれをあっさりと掴み床に落とす。 「何を恐れる?爪を剥がれても、顔を溶かされても、串刺しにされても 我々吸血鬼の力によって、身体は再び元のまま死にはしない。」 「怖がらない方がおかしいよっ!僕は死にたいんだ!!いっそのこと殺してよ!!! なんが吸血鬼さ?!ウソツキ!お前たちなんか、本当の吸血鬼じゃない!! ニセモノだっ!!ニセモノっ!!ニセモノっっっ!!!」 目を大きく見開き、雨のように流れる涙と宝石、 喉がつぶれそうな程の大声で泣き叫んだ。 そして、その言葉は男の逆鱗に触れたのか。 男は深紅の眼をカッと見開かせ、鋭い牙を更に鋭くさせながら 疾風の勢いで、少年の首を掴み元々自由の無い手を更に後ろ手にまわし うつ伏せに倒した。ベッドのシーツに少年の顔が埋もれる。 このまま窒息死させるのかと思いきや。 男は少年の布きれに近いボロ服を破り捨て、背中をあらわにした。 シーツの隙間から、少年の水の中でもがく様な悲鳴が聞える。 そしてその次の悲鳴は、発狂したような聞いたものは 耳を覆いたくなるような悲鳴だった。 隙間からでも、ハッキリとその声は室内に響いた。 悲鳴と同時に室内に広がったのは、独特の肉が焦げる匂い。 男の掌が真っ赤に発熱している、手と少年の背中の僅かな隙間から 白い煙が立ち昇っている。 ジュゥゥ…と、焼きただれていく音。 暫くしてから、男が背中から手を離した。 背中には、十字の火傷―いや、烙印が印されていた。 少年はしゃくりあげた様な呼吸を繰り返している。 「これは奴隷の印。我ら誇り(・・・)高き(・・・)吸血鬼(・・・)一族に伝わる。 永久に死ぬことを許されない不死奴隷の烙印だ! 貴様に死は与えん!貴様は永久にここで苦痛に歪み絶望するがいい!!」 凄まじい気迫で怒鳴ったあと、男はズカズカと無作法な歩き方で 部屋を去っていった。余程イラついているのか、扉が閉まる音すらも荒かった。 男が去ったあと、少年はフラつきながらも身体を起こしていった。 呼吸困難に陥っていたため、何度も咳を繰り返す。 背中がヒリヒリと痛む。まだ熱が印の上で残っている気がした。 烙印 男は言った。 死は与えないと、自分は不死奴隷だと。 永久に痛めつけられ、傷を癒され、傷つき癒されの無限ループ。 身体の震えが止まらなかった。瞳孔が激しく収縮している。 あの男の怒りよう、次はどんな目に遭わされるのか想像すらしたくない。 涙が勝手に溢れ、止まらない。 「いやぁっっっ、いやだあぁっっっっ!!!!!!!」 狂ったように叫び、首を何度も左右に振る。 頭を抱え、身体全体がもがく。 考えれば考えるほど怖くなる。恐怖が隕石のようにやってくる。 「もう、もういやだぁ…ぁっっ!!誰か、誰か僕を殺してよぉっっ!!」 「望みどおりにしてやろう」 ―え? その声に反応すると同時に、又は反応する前に 身体をねじり込まれるような痛みを感じ、2回の轟音と共に 少年の身体は一瞬仰け反り、血を流しながら白いシーツに倒れこんだ。 扉に立っていたのは、赤い羽の吸血鬼だった。 |
―to be continue― |
遂に8話です、ここでやっと話が進み始めてきました。 今回もまた痛々しい内容ですみません。 背景画像は「Studio Blue Moon」様より。 +BACK+NEXT+ +CLOSE+ |