長い長い迷路を抜けるような感覚が、身体全身を貫いていく。

誰かが頭の中で囁いていく、羅針盤は壊れた。

これからが狂っていく始まりだ―…と

誰かが囁いた。誰かが………



[時代の運河]



「行った…か」



浅く呟いた悠離の傍らを砂塵の混じった風が、

空気を切り裂く音を立てながら吹き抜けていく。

狭間からそっと身を離し、悠離はそっと目線を手の平へと落とした。

あの華奢な身体は先ほどまでこの腕の中にいた。

忘れられなかった、何故か。どうしても。

あの少年。無事に地球へと辿り着けたであろうか。

判ってはいても、どうしても気になってしまう。

しかし向こうがどうであれ、ここよりは幸せに暮らせるだろうと悠離は思っていた。

そして―…願っていた。



「名前…」



踵(きびす)を返し、歩き出した悠離がふと呟いた。



名前



可笑しな話だが、悠離はあの少年の名を知らない。

聞かなかったとも言う。

悠離は口の端をにっとあげ、ほくそ笑むような顔で…



「まぁ、よい。私にはもう、関係のないことだ」



と、自暴自棄を気取ったように呟き、

紅き翼を大きく広げ、空高く羽ばたいて行った。

途端に悠離の表情は厳しい顔つきとなった。

黒い薔薇を一輪取り出し、それとそっと目の前に横切らせる。

薔薇は一瞬にしてあの仮面へと姿を変えた。

城に戻るのではない。行き先は、今はたった一つ。





「う、わぁっっ…!」



 ふわりふわりとした心許無い感覚が暫く漂ったかと思えば

一気に身体に重力がかかり、思わず悲鳴をあげて

いつの間にか姿を見せていた地面に尻もちをついてしまった。

薄着な所為か、痛みはじんじんとよく響いた。

痛む箇所を押さえながらも、少年はすらっと立ち上がり

周りの景色を見渡した。

なにが違うと明確なものは判らないが、彼にはわかった。

ここは自分が兄と共にいた世界だと…



「風の…風の匂いが違う…」



 気のせいかもしれないが、彼にはそう感じられた。

風の匂いに誘われてか、懐かしさが込み上げてくるものの、笑うことはできなかった。

傍らに彼がいてくれたのなら、きっと笑えたのだろう。



「スゥ兄ちゃん…」



 早く会いたいと心から思った。

その為には彼の―悠離―の言った通り探すしかない…

悠離から貰った、薄紅色の衣をなびかせながら少年は兄を見つけるために

足を進めていった。

遠くから群衆の無骨な足音が近づいてくるのには、少年は全く気付かなかった…







畜生、畜生、畜生…!!

品性の全くない言葉を胸のうちで延々呟きながら、青年は歩き続けていた。

荒々しく足を進めている所為か、若葉色の髪は振り乱したように揺れ

伏せ目気味の赤い目は、まるで般若のような目つきで四方を睨みつけていた。

青年―スゥ―はここ、メルヘン王国で何よりも愛しいたった一人の

血の繋がっていない弟をさがしていた。

吹き抜けていく耳障りな風の音を聞きながらは

スゥは目を細め、自分の手の平を見つめた。

 あの時、あの日、俺がアイツを残した時、その時に戻れるのなら…!!

何度も何度も胸のうちで叫んでいた。

俺は、俺の下らない勘違いで、俺の全てを失い、世界を壊してしまった。



 あの日、アイツの想いを捨て街を後にして

何日もかけ俺はメルヘン王国への道を見つけた。

さっさとそこに入り、行こうとした瞬間まるで火花のようにいきなり

アイツのことを考えてしまった。



一緒に行きたい



そう思ってしまった。

解いたと思った筈の心の鎖は、解かれることなく

再度俺を縛り付けやがった。

小さな穴の開いた頑丈な壁は想いの濁流に

アッサリと壊されてしまった。

一度思い出すともう止まらなかった。

しかし、自己主張する想いを必死に押し殺し…何度も何度も

しつこく自分に言い聞かせた。

 アイツは好きな女と一緒になれて、今幸せなんだ。

だから邪魔をしてはいけない…!

何度も何度もそう言い放ち、俺の想いはゆっくりと鎮圧されていった。

ホッと、安堵の息を漏らし。いつの間にか荒ぶった呼吸を静めていく。

だけどその時、俺の心に一人の子悪魔が囁いた。



顔だけでも見たくはないか―?





 自分でも愚かしいと思う、事もあろうに俺は

そんな小さな小さな囁きにあっさりとノッてしまったのだから。

顔を見るだけなら、一言別れの挨拶をする位ならば構わないだろう。

馬鹿馬鹿しい考えを自分にずっと言い聞かせながら

俺は操り人形のようにあの街へと歩みだしていた。

そして…



「なんだよ…これ」



それが最初の一言だった。素朴ながらも見目好く活気溢れた町並みは

もうそこには無かった。

壊れ、焼け落ちた材木の数々、耳をつく子供(ガキ)の泣き声、すすり泣く女の声

何かに対しずっと罵声をあげる男の声、肉の焼け焦げた匂い、

黒炭になった人の形をしたような奇形物、細切れになった赤いヒト。

正直気分のいいようなモノではない。

 どっと、血の気が引いた。

見渡す限り、アイツの姿はどこにも無かった。

何軒かの家は焼け落ちていないものもある。

そう、あの細工屋も焼け落ちてはいなかった。

もしかすると…いるかもしれない!

焦りと不安の最中駆け出し、壊れかけキィキィと音の立てる扉を蹴り開けた。

目に映った光景に、本当の焦りが身体を支配した。

その家の中は、天井から床まで黒ずんだ血の跡は醜い程に残っていた。

その光景と、あまりの血生臭さに一瞬クラッした。



「…貴方、ここの知り合いの方…?」



 脅えた女性の声が耳に入った、振り返った時の俺の顔はどんなだったかは

知れないが女は一瞬「ヒッ!?」と声をあげ、すぐに脅えた顔に戻った。

―全く、人の顔見て悲鳴あげるなんて一体どういう教育を受けたんだか。

俺は軽く前髪をかきあげ、女性の間近くに寄り先ほどの蚊が鳴いたような

質問に答え出した。



「ここの女主人と俺は親しい仲じゃなかったが、俺のオトウトが仲が良くてな…

少し寄ってみたら町は地獄絵図…。いったい何があったんだ。」



 女はほつれ髪が少し目立つ金の三つ編みを揺らせながら

少し俯き、小さな肩を震わせ俺に抱きついた。

町が血の海と焼け野原で不憫だと思うが、見知らぬ男に抱きつくというのは

関心できねぇなぁ。いつかヤられちまうぞ。

 なんて少々粗野なことを考えながら、女の背を撫で落ち着かせていく。



…実際は落ち着きたいのは俺なんだよ

なんだよこの血の跡―!?

外からじゃ全く気付かないのに、中に入った瞬間のこの惨劇…!

アイツはアイツはたしかここの女といたんだぞ…!

なら―…なら、まさかアイツまで…!?



最悪の展開を必死に揉み消しながら、俺は女の話に耳を傾けることにした。

女は何度もしゃくりあげ泣いていた。そして咽込む。

−だから落ち着けって。そう思いながらも背中の手は休めない。

そしてその内、女は涙で真っ赤になった目を乱暴にこすり

俺のボロイ服を掴んで、息継ぎも無く喋りだした。



「あ、悪魔がっ、悪魔がこの村をイキナリ襲ったんです!銀の髪をした悪魔が…!

私たちの町を、私の家族を、私の友達を…っっ!!」



 そう言いながら女は目を見開かせ、髪を振り乱しながら泣き叫んだ。

それでも尚、言葉を続ける。どこかにぶつけたいのだろうか…



「あんなの、っ、ヒド、ヒド過ぎる…!子供まで平気に殺して、っ、し、しかも

親の前で…こ、ここの人、私の友達をもここでバラバラにして…!!

ヒドイわっ…!彼女、もうすぐ、もうすぐ…うぅっ、あぁっ!!」



 限界がきてしまったのか、女は言葉を紡ごうとしても上手く呂律が回らず

嗚咽が零れるばかり、いい加減落ち着かせもう少しマシに話しが

出来るようになってから、ここで起こった事を聞き出そうと思い。

とりあえずこの血生臭い場所から、さっさと出ようと考えたときだった。



「あんた、スゥじゃないか!」



 聞き覚えのあるやや中年ぎみの女の声、俺が蹴破った扉の方を見ると

アイツに会う前から色々世話になった宿屋の女将だった。



―まぁ、世話になった。っていっても、女連れ込む為に部屋貸して貰ったりとか

 ロクでもない世話だけどな。



 女将は急いで駆け寄り、女の肩を抱いた。

女は喚き泣きながら血塗れの床に崩れ落ちた。

…よくこんな血生臭い床に座り込めるな、俺は正直あまりの匂いに

気分が悪くなってきたってのに。

女将はゆっくりと女の頭を撫でている。



「ここの人、細工屋をしてたんだけどね。

この娘(こ)の一番の親友だったんだよ。可哀想に……」



 よくある―俺自身には関係のない―人間関係の話が出てきた。

正直こういうのは嫌いだ。それはこの女の事情だろう。

悪いが、会って一日も経っていない女に感情移入しない主義なんだよ、俺。

適当に聞き流そうとした時だった…俺は自分の耳がおかしくなったと思った。



「隣町の細工師の見習いの男(ひと)と来週結婚するはずだったのにさ…」

「ぇ…?」



 俺の微かな一声は女将たちには届かなかった。



来週に結婚するだと…?

隣町の見習の細工師と?!



俺はようやく、自分のしてしまった取り返しのつかない事態に気付いた。

アイツは、別にここの女主人となにかあった訳じゃないんだ。



俺の勝手な勘違いで、俺は、俺はっ…!!



「スゥ、アンタには悪いけど。さっさとこの町を出て行ってくれないかい?

町の人の何人かが、隣町にいって即席の自警団を作ったんだ。

ここを襲ったのはこの娘の言う通り、悪魔さ。

あの目、あの牙、あの爪、蝙蝠のようになびくマント。

どう見たって人間じゃない…アンタは違うけど、その肌の色じゃ

怒りと恐怖に溢れている奴らの格好の餌食だよ、早く行きな…」



そしてハッとする。

つまりアイツは、ここに一人で残されたんだ。

だけど、あの日アイツの姿は結局見なかった。

一人ずっと俺を探し回っているのか?!それとも―…!



「女将!アイツは俺のオトウトは何処なんだ!!」



「何言ってんだい。あのコはアンタが姿を見せなくなった日から

ずっと見てないよ。ってスゥ、アンタ人の話を聞いているのかい!?」



 やっぱり…!!

俺の考え恐らく当たっている…アイツはここの奴に連れて行かれた…

アレだ、あの時)感じたあの気配―畜生!!!

 横から聞こえてくる雑音を無視して、俺は無我夢中に走った!

あの気配、アレは人間じゃない…となると答えは絞り込まれていく。

砂煙を立てながら、俺はコレの前に急停止する。



人間外の種族が棲んでいるメルヘン王国…



 この先にきっと、きっとアイツは…!

確証は何一つない。だけど俺の勘が忙しなく伝える。



この先に自分の愛しい者がいると!!

 

そして俺は地面を勢いよく蹴り、“道”の中へと飛び込んでいったのだ。

しかし、手掛かりは予想以上に集まらなかった。

その事に苛つきを感じながら、道を歩いていた時に

あの変な男にぶつかった。そしてあの一言でアイツを知っていると確信した。



「お前、いつ逃げ出したのだ…」



でなければ、俺を見て真っ先にこんな台詞言える筈が無い。

俺は正直アイツとは似ても似つかないが、男が見たのは俺の顔じゃない

あの男は俺の肌の色が真っ先に目に飛び込んだ。

ハッキリしたものではないが、そう確信した。

しかし問い詰めてみたものの、この男にはさらりとかわされてしまった。

俺はそれ以上問い詰めても埒があかぬと思い、一先ずその場を離れた。

気配に敏感な奴でほんの少し離れただけでは、あの男に気付かれずに

待ち伏せするのは不可能だった。

 結局、俺は城がシルエットでしか見えないくらいの場所から

潜みあの男を待った。力づくでも何でもなんとかして

あの羽の生えた男から、アイツの手掛かりを聞き出さねば。



「その為だったら、何ヶ月でも待ってやらぁ…!」



―いつ逃げ出した)−


この言葉から連想される事に、いい事になんて一つもねえ!

一番そうなって欲しくない現実が、闇の中で待ち伏せている。

俺はそう覚悟した…。



 どれ位待ったか、自分では判別できなかったときだ。

城から何かが飛んでいった。詳しくは判らないが、飛んで行ったモノは恐らく人で

誰かを抱きかかえている様だった。

―無論それはあの少年を抱きかかえ飛び去る悠離であった―



「しまった!」



 慌てて城に向かい走り出した。

迂闊だった、相手は飛べることが出来るのだ。

城門前まで行ったが、既に飛んでいった人影は無かった。

辺りを見回しても、やはりどこにも姿はなかった。

あの男という確証はないが、そうではないという確証も無い…。

後を追うか否か、悩んだ瞬間、俺は頭に大きな衝撃を感じた。

脳味噌を揺さぶられたような気色悪い感覚と、鈍い吐き気を催す痛みを感じながら

俺の身体は勢いよく地面へと倒れていった。



「青い肌。まだこんな奴がいたとわな。見た限り、あの奴隷とは全く違うが。

面白い。いい暇つぶしにはなるだろうて…毛色の変わった者もまた一興」



 そう言った男の手の中には、黒光りする筒―拳銃があった。

拳銃に新しい血が付いている、これでスゥを力一杯に殴ったと思われる。

男はもう一つの空いている手で胸を押さえている。

そう、そこは悠離によって貫かれた己の拳銃の弾の跡。

力無く横たわっているスゥの傍らに立っているのは、グレイだった…。







 美しく飾られていたステンドグラスが一瞬にして粉々になり、赤い絨毯に

キラキラと破片の輝きを見せながら散っていく。

それと同時にステンドグラスを飾っていた窓から、人影が飛び込んできた。

着地した場から真っ直ぐ前に、広く頑丈そうな木で出来た司書机。

机の上には古ぼけた本やら羽のペンがある、そしてそこには一人の男が

腰掛けていた。くすんだ銀髪をオールバックにし、瞳は赤く、

鴉色のスーツとマントを身に纏い、手を組みながら支配者のように腰掛けている


羽の無い吸血鬼。



「これはこれは、悠離様。また随分と手荒い訪問の仕方で。」



 人を子馬鹿にしたような発音と口調で男は喋る。

窓から飛び込んできたのは、仮面を身につけた悠離だった。

悠離がパチンと指を鳴らしただけで、周りに蝙蝠が集まり

そしてそれは燃え盛る業火となり、部屋を包んでいく。

男は動かない、悠離も動かない。

男は、目を細め憎憎しそうにこう問うた。



「一体何用だ。この無粋者の異端児め」

「貴様に話があるそれだけだ。最初の混血鬼、ドラキュラ王よ…!」


















今回はでも色々難産でした;
色んな場面で個々のキャラにスポット当てたりするんで
時間の流れが意味不明かもしれないので、すみません…;
とりあえず時間が一番早く進んでいるのは、悠離とスマです。
スゥちゃんは半歩ほど遅れていう感じです…。

背景画像は「Studio Blue Moon」様より

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